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📚 2020年に買った本を、今でもときどき開く
2020年に「幸福のための人間のレベル論」を買った。藤本シゲユキさんの本で、人の考え方や物事の捉え方をいくつかのステージとフィールドに分けて考える内容だ。もうとっくに読み終わっている本なのに、今でも定期的に本棚から取り出して見返している。
しかも、見返すのはだいたい気分がいいときではない(笑)。人に余計なことを言ったなと思ったときや、もう少し配慮できたなと思ったとき。そういうときに開くと、だいたい自分がやったことに近い話が書いてあって耳が痛い。
でも、そこがいい。読んで気分よく「俺はできている」と確認するための本ではなく、「今のはちょっと違ったな」と自分を点検するための本になっている。6年経った今も手元に残っている理由は、たぶんそこにある。
この本では、うさぎ・チワワ・ハリネズミを「気づいていないステージ」、ねこ・ライオンを「気づいてるステージ」として扱っている。さらに上のステージもある。ただ、俺はこの分類を、人間を厳密に採点するためのものとしては読んでいない。自分の考え方や行動を振り返るための地図みたいなものとして使っている。
🦔 2020年ごろの俺は、ハリネズミにかなり当てはまっていたと思う
この本を最初に読んだとき、ハリネズミに当てはまる節が相当あった。だから「なるほどな」で終わらず、普通に耳が痛かった。
当時の俺は、そもそも自分が考えていることを言語化するのがあまりうまくないと感じていた。何かをやっていても、「なぜこれをやるのか」「どういう考えでこの手順にしたのか」という部分が曖昧なことが多かった気がする。今から振り返ると、行動に一本の筋が通っていなかったという表現が近い。
一方で、会社の同僚には、仕事について「なんでこうするのか」「どういうふうに進めるといいのか」を具体的に説明できる人がいた。言われたことをただ処理するのではなく、目的と手段がつながっている。俺はそういう人を見ると、「この人はねこ以上なんだろうな」と感じていた。
今考えると、その人が何でも正解を知っていたというより、自分の行動に理由を持っていて、それを言葉にできていたことが大きかったんだと思う。自分が何を考えて、なぜその行動を取ったのか。そこまで自分で分かっているかどうかは、かなり大きな差だった。
🧭 「会社を辞めたから自立した」ではなく、その前から考え方が変わっていた
会社を辞めて副業から独立したころには、俺は確実にねこフィールドには入っていたと思っている。ただ、会社を辞めた瞬間に急に変わったわけではない。実際には、独立を計画し始めた時点でもうかなり考え方は変わっていた。
当時の仕事自体は楽しかった。それでも、「今が楽しいから、この状態がずっと続く」とは考えなかった。将来、上司が変わるかもしれない。会社の方針が変わるかもしれない。今は好きな仕事でも、自分ではコントロールできない理由で嫌になる可能性はある。そういうリスクを考えて、まだ困っていないうちから早めに手を打つことにした。
実際、独立の準備をしている間にも会社の状況は変わった。転勤を無条件に命じられるような規約が加わったり、話が合わない上司に変わったりした。未来を完璧に予想できたわけではないけど、「自分で選べない要素に人生を全部預けるのは嫌だ」という感覚は間違っていなかったと思う。
だから副業を育てながら、独立するまでの計画を立てた。数年間は無収入でも大丈夫なくらいの余裕を作ったし、もし事業が駄目でも、フォークリフトの実務経験もある。経理や総務など、会社員として使えるスキルもいくつかある。最悪、俺と妻でアルバイトをして生活する形だっていい。そのときは節約スキルが生きる(笑)。
不安がなかったのは、「自分の事業は絶対に成功する」と思い込んでいたからではない。失敗した場合まで考えて、それでも何とかなるように準備していたからだ。世間一般ではこうした方がいい、ではなく、「俺はこうしたい。そのために何を用意すれば実行できるか」を考えられるようになっていた。俺にとって自立は、会社を辞めることそのものより、こっちの方が本質に近い。
🌊 原因自分論は「何でも自分が悪い」で終わる話ではない
この本を買ったころ、両学長の「原因自分論」の話もかなり印象に残っていた。正確な一字一句ではないけど、「原因を他責にしている方が人生は楽」という趣旨の話が強く記憶に残っている。
確かに、うまくいかなかったときに「あの人が悪い」「会社が悪い」「環境が悪い」で終われば、その瞬間は楽だ。自分は何も変えなくていい。でも、それでは同じ状況になったときにもう一度同じことが起きる可能性が高い。
一方で、原因自分論を「何でも自分が悪いと思えばいい」と履き違えるのも違うと思う。相手が悪いことまで自分の責任にして、「全部俺が悪かった」で終わったら、何の解決にもなっていない。大事なのは、自分を責めることではなく、考えて改善することだ。
環境を変えた方がいいなら変える。手順を変えた方がいいなら変える。伝え方を変えた方がいいなら変える。人がどう行動するかそのものをこちらが決めることはできないけど、川の道筋を作るように、自然にいい方向へ流れやすい環境を作ることはできると思っている。
誰かと対立したとしても、「相手を言い負かす」ことをゴールにする必要はない。お互いにとって少しでもいい方向へ持っていく方法はないかを考える。相手が変わらないなら、自分が距離や仕組みを変えることだってできる。原因自分論の価値は、「悪いのは誰だ」を決めることではなく、「ここから何を変えられるか」に思考を進められるところにあると思う。
💬 俺が思うレベルアップは、「気づくまでの時間」が短くなること
今でも、人とのやり取りで「余計なことを言ったな」と思うことはある。だから、自分がライオンですと言い切る気にはならない。ライオンに近いところまで来ているのかもしれないけど、自分ではよく分からない。感覚としてはねこくらいだと思っているし、場面によっては普通にハリネズミっぽい反応もする。
一方で、昔のような考え方に丸ごと戻って、チワワより下のフィールドまで下がるイメージは今の自分にはあまり湧かない。価値観の土台はかなり変わった。でも、土台が変わっても一つ一つの反応まで完璧になるわけではない。その瞬間だけハリネズミのような接し方をすることはある。
最近も、自分なりにかなり噛み砕いて説明したつもりなのに、どうしても伝わらない場面があった。本当なら、「ここまで説明して分からないなら、この話題はもう変えよう」でよかった。それなのに、もう一段説明しようとしているうちに、自分を自慢するような話し方になってしまった。
しかも、言った時点で「これ、言わなくていいことだな」と自分で分かった。完全に後日気づいたわけではない。それでも口から出る前には止められなかった。俺の中では、こういうところにまだ伸びしろがある。
妻への接し方でも似たことがある。気遣いがいい加減になるときがあるし、こちらが曖昧に言っているせいで本人に意図が伝わらないこともある。何度説明しても本質が伝わらないときは、ある程度強く言わないと届かない場面もあると思う。ただ、必要以上に強く言ってしまって、「その前にもう一言ワンクッション入れればよかったな」と後から思うこともある。
何でも優しく言えば正解という話ではない。必要なことは伝えた方がいい。でも、同じ内容でも伝え方は選べる。その選択を失敗したときに、「相手が分からないから仕方ない」で終わらず、「俺は別の伝え方ができたかもしれない」と考えられるかどうかが大事なんだと思う。
俺の感覚では、人間のレベルアップはゲームみたいにある日いきなりステータスが上がるものではない。最初は悪い種を撒いて事件になって気づく。それが、その日の夜に気づくようになる。やがて話し終わった直後、話している途中、そして最後は言う前に気づけるようになる。
なぜこうなったのか。自分は本当はどうしたかったのか。そのために、次は何を変えればいいのか。最初は時間をかけて深掘りしていた作業が、経験を積むほど頭の中で一瞬で回るようになっていく。俺は、その経験値の積み重ねこそが「気づいてる側」へ進むことなんじゃないかと思っている。
💼 幸福って、事業がうまく回る構造と少し似ている
この本を今読み返すと、「好きなことをやる」「人の役に立つ」「喜んでもらう」という話も、昔より具体的に分かるようになった。副業を始めて、独立して仕事をするようになったからだと思う。
俺はこれは、自営業や好きなことを仕事にした人だけの話ではないと思っている。たとえば会社の経理を考えると分かりやすい。経理の人が給与計算を頑張ったからといって、それだけで会社の売上が急に増えるわけではない。それでも、社員は税金や社会保険料が正しく計算された給料を、毎月ほとんど意識せずに受け取れる。
何事もなく給料が振り込まれるのは、誰かが裏側で仕事をしているからだ。その仕事によって会社が回り、周りの人が困らずに済む。本人は役に立ち、その対価として給料を受け取る。そこに本人が意味や手応えを感じられるなら、それも十分に幸福の一つだと思う。俺は、この「自分の仕事が誰かの役に立っていて、その対価も受け取れている」という循環を本人が実感できるかどうかが、一つの線引きになる気がしている。
「好きなことを頑張れば幸せ」というのも、趣味だけを好き勝手にやる話ではないと思う。興味を持てること、意味を感じられることだから続けられる。続けるから物量をこなせる。物量をこなすから経験値が増える。すると、いつの間にか他の人より得意なことになる。その力で誰かが助かって、喜んでもらえる。
ちゃんとした方向を向いて、圧倒的な物量をこなし、結果を見ながら修正していく。こう書くと完全に事業みたいだ(笑)。方向が間違っていれば直す。やり方が悪ければ改善する。続けるうちにできることが増え、それが誰かの役に立つようになる。仕事も人間としての成長も、意外と同じような構造をしているのかもしれない。
🎯 「仕事を頑張る」がいつでも正解とは限らなくなった
独立した直後は、自分で選んだ仕事だから頑張ること自体が楽しかった。去年あたりからは、自分の人生全体をもう一度しっかり考えるようになった。仕事をもっと頑張る時期もあったし、今年は逆に仕事をほどほどにして、意識して遊んでみようと考えている。
以前だったら、「仕事がうまくいっているなら、もっと稼げるだけ働いた方がいい」と考えていたかもしれない。でも、仕事をたくさんすること自体が目的ではない。自分がどういう人生にしたいのかを考えて、その年に必要な配分を自分で決めればいい。
もちろん、その判断が正しいかどうかは後にならないと分からない。ただ、少なくとも「世間ではこうするべきだから」ではなく、「俺は今年こうしてみたい。だからこう動く」と決めている。うまくいかなければ、また考えて変えればいい。
この感覚は、会社を辞める準備をしていたころから続いている。人生を完璧にコントロールすることはできない。でも、自分が選べる部分まで他人や環境に預ける必要はない。自分で考え、自分で選び、結果を見てまた考える。その繰り返しが、自立するということなのかもしれない。
🧭 この本を「他人のレベルを測る道具」にはしたくない
「人間のレベル論」という名前だけを見ると、人を上から順番に並べる本のようにも見える。実際、今回あらためて口コミを調べると、「分類に客観的な根拠があるのか」「人を段階分けする考え方自体が合わない」という否定的な意見もあった。そう感じる人がいるのも分かる。
俺自身も、この9つのフィールドが科学的に人間を測定する物差しだとは考えていない。むしろ、他人を見て「あの人は下だ」と判定し始めたら、この本の使い方として一番危ない方向へ行く気がする。
俺にも、「この人とは考え方がかなり違うな」と感じる相手はいる。でも、その相手に対して自分まで余計なことを言ったなら、それは相手のフィールドとは別の問題だ。「今の俺はハリネズミみたいな接し方をしたな」と自分側へ戻って考えればいい。
人の考え方を完全に変えることはできない。それでも、自分の環境、手順、伝え方、距離の取り方は変えられる。この本は他人を採点するためではなく、自分にまだ変えられる部分が残っていないかを探すために使う方が、俺には合っている。
📖 耳が痛いから、これからも見返すと思う
2020年にこの本を買ったころの俺と、今の俺では、同じ文章を読んでも刺さる場所がかなり違うと思う。あのころは、「なぜ自分はこうするのか」を言葉にすること自体がまだ弱かった。今は、仕事や人生について自分なりの理由を持って動ける場面がかなり増えた。
それでも、余計なことを言うことはある。妻への気遣いが足りないこともある。反省した直後は「次は気をつけよう」と思っても、また似たミスをすることもある。だからこの本を卒業した感じは全然ない。
むしろ、「もう分かっている」と思ったときほど危ないのかもしれない。何か引っかかる出来事があったら、なぜそうなったのかを考える。自分はどうしたかったのかを考える。そして、こうしたいと思ったなら、できるように環境や行動を少し変えてみる。
別に毎回きれいな答えが出なくてもいい。良いことでも悪いことでも、まず考える。そのうえで、次は少しマシにできないか試してみる。
俺にとって「幸福のための人間のレベル論」は、幸せになるための正解を教えてくれる本というより、考えることを忘れていないか確認する本になった。耳が痛いから見返す。今のところ、それくらいの距離感がちょうどいい。
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